〔第3回〕 ~教え子との思い出 プラスα~  <中国、そしてニュージーランド + ルーマニア>

“Think globally, act locally(地球規模で考え、足元から行動する).”
これは、80以上の国々への訪問歴・居住歴のある学院長・中川が、その思い出をランダムに記すシリーズコーナーです。お気軽にお読みいただければ幸いです♪

Sは、私が兵庫の県立高等学校教諭をしていた時の剣道部の教え子。卒業後も付き合いが続き、今に至っている。今回は、そんなSの招きで中国へ行った時と、Sが私を訪ねてニュージーランドへやって来た時の話。特に何という出来事があった訳ではないが、まあ、教師冥利に尽きるひと時だったという独白まで。

大学在学中に1年間中国の大連に留学していたSからの「ぜひ遊びに来てください」を真に受けた私は(笑)、そのちょうど20年前に訪れた中国(この時の話は前回(第2回)で一部紹介)の変貌ぶりを見てみたいという気もあり、大連行きの飛行機に乗り込んだ。

Sが手配してくれたホテルは、Sが寄宿している学生寮から程近い飲食店街に立地。昼間は、Sは学業があるため、私一人で街をぶらつき、夜は、ホテル周辺の店で一緒に酒を飲んだ。いや~、特に青島ビールは美味かった~♪

「曲がりなりにも学校のHP記事にビール話を掲載するなんて不謹慎だ!」とのお叱りを受けそうだが、これにはちゃんと意味があるのです。なぜ青島ビールが美味いのか? それは港湾都市・青島が19世紀後半にドイツの租借地となり、ビール名産国ドイツの影響を多大に受けたためなのです。そう、私は湘南一ツ星の生徒等の為に、歴史教育の一助としてビールの話をしたのです(笑)!

話戻して、実はこの旅の、Sに会うことを除く最大の目的は、大連からそう遠くない旅順という港町を訪ねることにあった。Sにもその旨は事前に伝えていたので、週末、Sが手配してくれた車で一緒に旅順へ向かった。旅順は、明治時代に勃発した日露戦争の激戦地の1つ。

その凄惨な攻防は数々の小説や映画に描かれており、特に、その最大の激戦地の一つである”二百三高地”と呼ばれる山の頂(203m)には、いつか立ちたいと長年思っていた。その念願も叶い、更に、本来なら外国人の立入が制限されている地区にもSの案内で立ち入ることができた。Sに深謝!

それから10年の歳月が流れた年末、今度は、ニュージーランド(以下、NZ)の大学で勤務していた私をSが訪ねて来ることになった。

到着の日、首都ウェリントンの空港へ迎えに行ったが、待てど暮らせど入国ゲートからSは現れない・・・。

そのうちゲートから現れた係員と次のやり取り。

”Are you Mr.Nakagawa? ”

”Yes. I am waiting for my guest here, but, not yet・・・.”

”OK.  Follow me, please.”

係員の誘導でゲート内部に入った私が目にしたのは、税関脇の椅子に小さくなって座り込んでいるSの姿。

「先生、スミマセン・・・」。

Sは、ちょいとした失敗をやらかし、入国に待ったをかけられていたのだ。Sに代わって私が釈明その他の対処をし、無罪放免となったが、実は本件、Sが私のためにしてくれた行為に起因することだっただけに(半分はS自身に原因あり)、Sには可哀そうな目に遭わせて申し訳なかったが、まあ、その夜は大ボリュームのビーフステーキと何杯ものビールを振舞ったのでチャラということにして(笑)、NZのビール事情について少々。

英連邦国家であることもあって、NZはビールが非常に美味しい! 数多くのビール醸造所が全土に点在しており、私が居住していたパーマストンノースという町の近郊にもTuiという人気のビール工場があった。併設するバーで直産ビールが飲めるこの工場へうわばみのSを連れて行ったところ、5種類だかのビール飲み比べセットをSが複数回オーダーしていたのを記憶している(どうでもいいが(笑))。

因みに私が一番好きだったNZビールはMonteith’sの黒。NZを離れる迄に是非この醸造所を訪ねたかったのだが、私が住んでいた北島ではなく南島に立地しており、それも結構アクセスし辛い場所にあったため、終ぞ訪問叶わなかったのは残念無念・・・。この辺りで再び、「またビール話か!」とお叱りの声が聞こえてきそうだが、これにもちゃんと意味があるのです。その答えはMonteith’s のHPをご覧いただければ分かるはずです。

https://www.monteiths.co.nz/

ほら、生年月日を入力しなければEnterできない設定になっているでしょう。日本のビール会社のHPにはそのような設定はありません。そう、私は湘南一ツ星の生徒等の為に、異文化理解教育の一助としてビールの話をしたのです(笑)!

そんなこんなで共に年末年始を過ごしたSがNZを発つ前の日、私の職場のX’mas プレゼント交換(NZでは定番だそう)でもらったジントニック1ダースセットを抱えて暮れなずむ海岸へ行った(また酒(笑)!)。Sと浜辺に並んで腰かけ、南半球の星空を仰ぐ時間まで語り合った時間は、つくづく自分は教師をしていて良かったな・・・と、そして、良き教え子たちに恵まれたな・・・と思わせてもらった至福の時間だった。

因みに、ご推測のとおり、海を後にする時にはジントニック12缶全て空になりました、はい(苦笑)。

“酒”ついでに、そして”並んで腰かけ”関連で、時間グーンと遡って20代の頃、東欧はルーマニアでの’酒”& ”並んで腰かけ”話で締めくくることにする。

首都ブカレストの中央駅の外階段に座ってベオグラード(2003年に消滅した国家・ユーゴスラビアの首都。現在はセルビア共和国の首都)行き夜行列車を独り待つ私の隣に、軍服を着た1人の白人が腰かけてきた(後にソ連(現在のロシア等)の軍人と分かった)。暫くして彼は、東洋人が珍しいのか、或いは単なる暇つぶしか、私に話しかけてきた。

しかし私はロシア語には通じておらず、彼も日本語はもとより英語も一切解さない。つまり、共通言語が全くない・・・。だが、彼は人懐っこい微笑みを浮かべながら、身振り手振りで意思疎通を図ろうとしてくる。私も、知っているソ連の地名や人名等を挙げ、彼に応える。全くコミュニケーションは成立していないのだが、私が彼を『いい奴だな』と思ったのと同様、彼もまあ『こいつ、悪い奴じゃないな』ぐらいには感じてくれたのか、ザックからウォッカ(ロシア原産の酒)を取り出し「一緒に飲むか?」の仕草。私は勿論「飲む♪」の仕草(笑)。カップなど無いので、1本のボトルを回し飲み、否、この場合は1対1だから直線飲みか。ともかく、私が携行していたクラッカーを肴に、やたら度数の高いウォッカを、これまたやたら酒に強い彼とサシ飲みするうち、視界に霞がかかり始めるとともにメッチャ楽しくなってきた私は、知っている数少ないロシア語の「ハラショー!(素晴らしい!)」や「ウラー!(万歳!)」を連発しながら彼と肩を組んで盛り上がった。

彼と別れてベオグラード行き列車の2等席に乗り込み、リュック下ろして一息ついた瞬間、それまで霞がかかっていた私の視界は完全にゼロになったが(苦笑)、共通言語がなくても(もしかすると無かったが故に(?))それなりに仲良くなれることを体験できたこのブカレストの秋の夜は、忘れられない一夜として、今も私の記憶に、そして心に残っている。

以上、酒話に始まり酒話に終わった感のある第3回目でしたが、今回もおっさんの昔話に最後までお付き合いいただき有難うございました。もしよかったら次回もお付き合いください。

2020年11月30日 中川 智幸