〔第4回〕 ~青年海外協力隊に参加して~ <トンガ王国+“青年海外協力隊”>

“Think globally, act locally(地球規模で考え、足元から行動する).”
これは、80以上の国々への訪問歴・居住歴のある学院長・中川が、その思い出をランダムに記すシリーズコーナーです。お気軽にお読みいただければ幸いです♪

『私は、平成14年に青年海外協力隊の日本語教師隊員として南太平洋のトンガ王国へ派遣されました。そこは、人口10万人に満たない小さな島国ながら、大きな身体と豊かな心を持った人々が住まう素晴らしい地でした。以下、トンガの人たちと共に暮らし、共に働いた日々を振り返りつつ、そこで私が見聞きしたこと感じたことを報告させて頂きます』。

これは、2007年刊行の関西学院大学教職教育研究センター紀要 「教職教育研究」第 12号に掲載された拙文「教育現場からの研究ノート 『トンガ王国便り ~青年海外協力隊に参加して~』」の冒頭部分です。この全文は、添付のPDFを開くか、論文検索サイトCiNiiの下記URLからダウンロードしてご覧いただけますので、ご笑読いただければ幸いです。

『トンガ王国便り ~青年海外協力隊に参加して~』

https://ci.nii.ac.jp/naid/110006482984

従って、青年海外協力隊員として赴任したトンガ王国での日々については、この『トンガ王国便り』に譲ることとし、今回はこれまでとは様相を異にし、「青年海外協力隊(以下、協力隊)」に焦点を当てたい。というのも、それなりに知名度は高い協力隊だが、これまで「そもそも、協力隊って一体何なの?」とか、「派遣前に訓練があると聞いたが、何をするの?」といった質問を受けることが少なくなかったため、この機会にその全貌を明らかにする! と、まるで何かの暴露本のような言い回しになってしまったが、ともかく、おぼろになりつつある記憶を思い起こしつつ、経験者としての感想や私見も交えながら協力隊について紹介する。因みに、私が派遣された当時(2002年)に比して現在は、派遣期間の多様化や訓練の縮小化など、多少変容した部分があるが、根幹に変わりはないであろうため、これから協力隊を目指す方にも概ねのところ参考にしていただけるものと思う。

以下、先ずは「そもそも、協力隊って一体何なの?」。次に、「派遣前に訓練があると聞いたが、何をするの?」について述べることとする。

 

1.「協力隊って?」

日本が発展途上国等に対して行う支援活動は次の2つに大別できる。

1つは「経済的・物質的支援」。もう1つは「人的支援」。

後者の「人的支援」は、更に2つに分化できる。

1つは「相手国の人材を日本に受け入れて技術等を習得してもらう方法(例:海外からの研修生受け入れ等)」。

そしてもう1つが「日本から相手国に人材を派遣して技術等を提供する方法」であり、この、人材派遣の一つの形態が協力隊である。

「青年海外協力隊」の名称から分かるとおり、派遣されるのは「青年」と呼称される20歳~39歳までの日本人男女(この論理でいくと、日本国の“青年”の定義は39歳までということになるので、『自分はまだ青年だ!』と力説されている40代の日本人は、残念ながら青年じゃなく“中年”ってことになりますよ~(笑))。

派遣国は、いわゆる発展途上国が大部分だが、例えば「剣道」や「柔道」の普及・指導のために東欧へ派遣される隊員もいる。

職種については、相手国からの要請に応える職能ということになるため、かなり多岐にわたる。例えば、私が派遣されたトンガ王国は、世界で唯一「珠算」隊員の派遣要請のある国であった。

ということで、更なる詳細は協力隊のHP(https://www.jica.go.jp/volunteer/)等をご参照いただければと思うが、私なりに協力隊をザックリ定義づけると、「発展途上国を中心とする諸外国の発展に寄与するために、相手国の要請に基づいて日本からボランティア人材を派遣する制度の1つ。隊員は、現地に一定期間(最も多いケースは2年間)居住し、その技能を生かした貢献活動を行う」ということになろうか。因みに協力隊(〔英称〕JOCV:Japan Overseas Cooperation Volunteers)は、外務省所管の独立行政法人・国際協力機構(〔英称〕JICA:Japan International Cooperation Agency)が実施する海外ボランティア制度であり、国家施策による公的性の高い派遣のため、隊員は準外交官パスポートを持って任地に赴任する。

 

2.派遣前の訓練って?

派遣前の訓練を2つに大別すると、1つは、「全員に必須の約3か月間(最近は約2か月)の合宿訓練」。もう1つは「合宿訓練の事前(稀に事後にも)に課せられる技術補完訓練」。

後者は、職種や個人のスキルによって異なる為ここでは割愛し(因みに、私も含めた日本語教師隊員は全員、合宿訓練に先立って東京に集められ、1週間弱、日本語教授法についての研修を受けた)、ここでは前者、即ち、「全員に必須の約3か月間の合宿訓練」について述べる。

訓練の場所は、派遣国によって、東京都の広尾・福島県の二本松市・長野県の駒ケ根市の何れかに振り分けられる。私(=トンガ隊員)は長野県駒ケ根市だったので、以下、この駒ケ根訓練所での日々の概容を「生活」と「内容」に分けて記す。

(1)生活

朝は集会、ラジオ体操、そしてランニングから始まる。朝食後から夕方までみっちり各種訓練を受け、夕食後も2時間程度の自学自習が課せられる。訓練期間中、帰省などで3回まで週末外泊が許可される。土曜の夕方以降及び日曜日終日はオフ。因みに土曜の夕方のみ、訓練所-JR駒ケ根駅間の送迎バスが運行される。訓練所内はアルコール厳禁につき、酒好きの隊員(含:私(笑))は、門限までの約2時間、ここぞとばかりに痛飲! これについてこぼれ話を一つ。

或る土曜の夜、A隊員は飲み過ぎて泥酔し、何とか帰所はしたものの、夜の点呼時に姿が見当たらない・・・。訓練所職員や隊員が手分けして探索した結果、トイレ内でぶっ倒れていたA隊員が発見された。職員にこっぴどくお灸を据えられたA隊員は、向こう1ヶ月だか外出禁止処分となり、集会時に全隊員の前で謝罪と相成りました・・・。まるで問題行動を起こした生徒(苦笑)。しかし、A隊員を弁護する訳ではないが、平日は夕方に課業が終了してから夕食までの1時間程度の自由時間しかなく、この時間も、外出が許可されているとはいえ、市街地まで徒歩で小一時間かかる訓練所の周囲にはコンビニどころか自販機すらなく、近くにある中央高速道路の駒ケ根サービスエリア(高速利用者以外の人間も入ることができる)でソフトクリームやお菓子を食べることぐらいしか俗世間に触れる機会がない閉塞状態に隊員は置かれているため、まあ多少は情状酌量ということで(苦笑)。

(2)内容

訓練の目的は、日本とは大きく異なる環境の中で生活し、職務を全うするために必要なノウハウやスキルを身につけることに尽きる。従って、半分は、健康維持や危機管理のための知識や技術の吸収。もう半分は、言語習得に費やされることになる。その内容は多岐に渡るため、とてもここでは書ききれないが、前者・後者それぞれについて特徴的な事柄を一つずつ挙げると、前者については、鶏の解体や魚の三枚おろしを体験・習得する機会があったこと(因みに赴任先のトンガでは、鶏をシメる機会はなかったが、結構な頭数の豚をシメた(合掌・・・))。後者については、語学週間。これは、設定期間中(2~3週間)は日本語の使用が禁じられ、各自の訓練言語等でしか会話してはならないというものだった。

 

以上、長々と書き連ねたが、最後に、事前訓練中の或る出来事を紹介して今回の結びとする。それは、先に述べた協力隊の「公的性の高さ」を裏付ける事柄であり、且つ、私にとっては非常に大きな出来事だった。

 

〇〇〇〇〇と握手してもらった! しかも、会話までさせてもらった!

 

この〇〇〇〇〇とは誰でしょう? 何と、皇太子殿下(当時。現在の天皇陛下)なのです!

協力隊員は、訓練期間中に皇太子殿下に拝謁を賜る機会がある。それだけでも私にとっては一大事だったのだが、握手、更に私的な会話までさせていただけたのです! 以下がその時の様子。

赤坂御所に到着した駒ケ根訓練所の隊員約200名全員、先ずは控えの間で茶菓の接待を受けながら、宮内庁の職員等と暫し歓談。最初は緊張気味だった隊員諸氏も、次第にその本性(?)を現し始め、供された高級クッキーを貪り食い(訓練所では嗜好品に飢えているので・・・(苦笑))、某柔道隊員に至っては「この絨毯、超フカフカだ~」とか言いながら受け身までする始末。

それはさて置き、いよいよ謁見の間へと案内されることに。

事前に指示されたとおり、隊員は派遣国ごとに並び、各列先頭に隊長が立って整列。因みに隊長について少し説明すると、訓練開始初期に、同じ国へ派遣される隊員の中から隊長が1名互選で決められ、派遣国ごとに分かれての訓練や協議などでは隊長が取り纏めや連絡調整の役割を担うというもの。同期のトンガ派遣者は私を含めて4名で、私が隊長になった。隊長と言えば聞こえはいいが、雑用も多く、面倒くさいな~と思うこともない訳はなかったが、私以外の3名(私と同じ兵庫県出身者が1名、愛知県1名、東京都1名)は全員イイ奴らだったので、私は結構気楽にその役を務めさせてもらっていた。

話戻して、さて、いよいよ謁見の時間。

殿下は各列の先頭者=各国の隊長にお言葉をかけられることになっている。つまり、皇太子殿下と話せてもらえるのは隊長のみ。手順としては、最初に、派遣国・隊員数・隊長の名前をお伝えし、以降は殿下に尋ねられたことに応答する、と事前に言い含められていた。

手筈通り、殿下は各国隊長に順々にお言葉をかけながら広間を進まれる。そしていよいよトンガ隊即ち私の前へ。

〔中川〕「トンガ隊4名です。私は中川でございます」。

〔殿下〕「中川さんはトンガではどのようなお仕事をなさるのですか」。

〔中川〕「はい。日本語教師隊員として公立のハイスクールで勤務いたします」。

〔殿下〕「大変なこともあるかも知れませんが、ご活躍を期待いたします」。

〔中川〕「有難うございます」。

そして握手の後、殿下が隣のサモア隊へと移動されかけたその一刹那、私は咄嗟に、というのは嘘で、実は状況次第では申し上げようと密かに温めていた計画を行動に移した。

〔中川〕「殿下、一言申し上げたいことがございます」。

殿下は立ち止まり、再び私に顔を向けられた。殿下の傍らに立つ侍従が訝し気に私を注視するが、私は構わず言葉を続けた。

「個人的な話で恐縮ではございますが、私は兵庫県出身です。阪神淡路大震災の折、まだ余震続く中、天皇・皇后両陛下や殿下がお見舞いに神戸に駆けつけてくださり、大変勇気づけられました。もし機会あれば、その御礼を申し上げたいと思っておりましたので、この場をお借りして御礼申し上げます。本当に有難うございました」。

殿下は真っ直ぐ私の顔を見ながら言われた。

「ご自宅は大丈夫でしたか」。

「はい。一部損壊致しましたが、大事には至りませんでした」。

更に私は、「実は(トンガ隊員に)もう1名兵庫県出身者がおります」と申し上げて、最後尾に起立していたK隊員を手招きした。

〔K隊員〕「Kと申します」

〔殿下〕「震災では大変な思いをされたでしょう」

〔K隊員〕「はい・・・」

〔殿下〕「ご家族はご無事でしたか?」

〔K隊員〕「はい。お陰様で全員無事でした」。

〔殿下〕「それは何よりでした。これからもどうぞお身体に気を付けてください」。

〔K隊員〕「はい。有難うございます」。

殿下はK隊員に手を差し出され、握手された後、今度こそ隣の列へと歩み去られた。

進行時間を気にされていたであろう侍従の方々にはお気を揉ませて申し訳なかったが、K隊員にとっても私にとっても、実に嬉しく、忘れがたい機会となった。ああ、今思い出しても涙が出そう・・・。

以上、今回もおっさんの昔話に最後までお付き合いいただき有難うございました。よろしければ次回もお付き合いください。

 

2020年12月18日 中川 智幸